11ヶ月の男の子に「あなたには夢がありますか?」と聞く。
クリクリの目をパチクリとさせながら
『ウォ〜、ウォ〜』と言った。
お母さんが「大きくなったら野球選手にでもなる!?」と付け加えた。
無限の可能性を秘めた男の子が羨ましく思えた。
良い夢が見つかりますように。
1歳になる彼女は吊り上がった目で不安そうに私のことをジーっと見つめていた。夜泣きが酷くて家族の者がホトホト困っていると相談を受けた。(お婆ちゃんの電話)彼女はそのお婆ちゃんに抱かれ、その後にお母さんが付いてこられるという感じに違和感を覚えた。夜泣きの様子を事細やかに説明するお婆ちゃんを制止してお母さんに彼女を抱かせて説明を求めると、突然大粒の涙を流した。(どうしちゃったのかな?)しばらくしてお母さんが重い口を開けた。
「この子を身籠った後、夫と別れました。悲惨な離婚だった。彼の事がただ憎くて、生まれたこの子を見ると彼の事を思い出しとても好きにはなれませんでした。・・・」と。
彼女の育児は以来お婆ちゃんが全てやってきたと言う。遊ぶのも、ミルクを与えるのも、お風呂に入れるのも、抱っこするのも全て。夜泣きで泣いていてもお婆ちゃんが必死にあやしていたそうです。
お母さんを見上げる娘を抱きながら「本当にごめんね〜」と泣き崩れた。
その時でした不思議な事が起った。
彼女は笑いながら泣き崩れるお母さんを見上げ、ギューッと抱きついたのです。
お母さんにも彼女の想いが通じたのか反射的に彼女を強く抱きしめる本来の母親の姿を取り戻したのです。
お母さんの気持ちは彼女が一番分かっていたのかもしれません。子供と言うのはいつでも不安で不安定な心の持ち主です。夜泣きをするのはある意味当たり前の事で、そんな時はギューっと抱きしめてあげて下さい。安心するまで。お母さんの肌の軟らかさや温もりが彼女を安心にさせると私は信じています。
これからです。
『絆』
を築くのは。決して遅くはありませんよ。
あなたは立派なお母さんです。
帰る時には彼女の吊り上がった目つきは消えていました。
4月のある日、麦わら帽子をかぶった一人のアメリカ人が治療院にやってきた。
彫りが深く大きな目でニコッと笑い陽気なその性格は私のアメリカ人のイメージにぴったりの人だった。片言の日本語で一生懸命自分の症状を説明してくれた。話によると彼はストリートミュージシャンをしていて、背中にドラムとシンバルを背負い、肩からギターをぶら下げ、首にハーモニカを固定して演奏していると言う。そんな彼の姿は容易に想像できる。もちろんトレードマークの麦わら帽子は欠かせない。そのスタイルから首肩に負担がかかるのだろう、肩から腕にかけて痛みと痺れがあると言う。彼は、南から桜前線にあわせて日本を移動し、花見で賑わう場所で演奏を披露している。ほろ酔いのサラリーマンがチップをはずんでくれるそうだ。彼に招待され花見で賑わう公園に行ってみると、大きな人だかりがあるのにすぐ気がついた。その輪の中心にイメージ通りの彼が艶やかな服装を身にまとい陽気に歌う姿があった。ギターを弾き、時にハーモニカを吹き、器用に足を使って背中のドラムとシンバルを操っている。
サクラが舞う公園で楽しいひとときをみんなで過ごした。
最後にボブ・ディランの「風に吹かれて」を私のリクエストに応えて演奏してくれた。
毎年サクラの咲く頃になると、「風に吹かれて」を聞きたくなる。その後彼を見る事もなく治療院に訪れる事も今はない。
彼の鍼灸師としてのスタートは杜撰なものであった。
初めて診た患者さんは手の腱鞘炎の方で、教科書通りに所見をとり十分な病態把握もしないまま、圧痛点と一致する『陽谿(ようけい)』のみに鍼を置鍼すること20分、治療を終えた。
今でも忘れないと彼は言う。その患者さんの「おおきに、楽になりましたわ」と深々と頭を下げて病室を出る姿を。彼の心の中には、正直どうしていいのか分からないまま施したにも関わらず、丁寧なお礼を残し帰っていかれた患者さんに、どうしようもないほど申し訳ない気持ちで一杯な自分が居たと言う。
この時初めて彼は『お金を頂いてお礼を言われる』仕事に就くのだと理解した。以来、本当の意味で自分の仕事に対し『ありがとう』と言ってもらえるようになりたいと本物の鍼灸治療を追い求めている。
あれから15年どれだけ本物の『ありがとう』を聞けたのだろうか?追い続ける日々は今日も続く。